三代目木田英次が、昭和49年(1974年)
小売部門を閉じる際に
手作りで発行した折り込みチラシより、
木田鹿かばん店の歴史を紹介します。
~『消えゆく明治の店』~
「天満の木田鹿かばん店。
それを創業したのは3代前の
初代木田鹿造です。
明治の廃藩置県で職を失ったため、越前から単身出てきて、
現在地(十丁目筋)で
舶来品店(こうもり傘、アコーディオン、くつなど)を始めました。
日清、日露戦没を経て、鮮満旅行者が増加。
次第にかばん店へと変身していきました。
2代目の木田梅太郎は、天満繁栄の大正時代と共に、規模を拡大。
市内にチェーン組織の5支店を開店。
その一部は独立して今も繁栄しています。
しかし天満卸売市場の移転、戦時統制等
厳しい世相のため、一時休業。
戦災後再開しましたが、昔と同じ小売店だけでは難しく、
経営を引き継いだ3代目木田英次は、
外販・卸売を主とし、店売を従としてやって参りました。
今回小売部門は閉じますが、
外販部門・卸売部門は木田鹿第三ビル1階に於いて
続けて参ります。」
この際、木田鹿かばん店は
ディアー商会へと屋号を変更しました。
ディアーは、DEER(鹿)を意味します。
初代鹿造さんから、受け継がれる一字です。
その後、学校・幼稚園を始め、
銀行・鉄道・機械・医薬品関係などの
外販・卸売部門を引き継いだのが4代目横手静夫です。
昭和33年当時18歳で
三重県から大阪の木田鹿かばん店へ就職。
今でも木田家とは家族同然のお付き合いです。
昭和28年頃の木田鹿かばん店。
古き良き時代を象徴するような、
商店街の様子が写真に残っています。
父親静夫の仕事を、幼少期から傍で見ていた
息子は、事務机の引き出しから
飴ちゃんをこっそりくすねたり、
「手伝ったるわ!」と言っては
鉄板の上で穴を開け、道具を破損させたり…。
今では懐かしい思い出で、トラブルメーカーだった
少年横手健二も、今では5代目木田鹿として
経営に携わっております。
そして平成27年。
40年の時を経て
ホームページ開設と共に、
4代目横手静夫と、5代目横手健二が
もう一度小売部門を再開します。
手作りの質と温かみを後世へ。
どうぞよろしくお願いいたします。